「大阪食い逃げ、京都行き倒れ」とはよく言ったもので、関西の名物といえばこじきに限る。夕闇の迫る通学路でハエタタキをもったジジイや角材をふりあげたオッサンに奇声をあげながら追われた思い出は、この土地に住む者ならば誰にでもあるだろう。ことほどさように、こじきはわれわれの身近な存在として日常に溶け込み、四季折々の移ろう景色に合わせて様々な風物詩をつむぎだすのである。夏の日のまばゆい陽光を浴びて輝くこじきの行水、冬の夜のゴミ置き場に影絵のように浮かびあがるこじきのシルエット。こじきという存在は、きわめてありふれた日常風景の一部なのであり、むしろ都市という生物が内包する不可欠の構成要素と呼ぶべきかもしれない。わたくしもそう思っていました。あの異常な光景を目にするまでは。
趣味の古書漁りのため、古い町家の立ち並ぶとある地区に足を踏み入れたときのことでした。わたくしは眼前に広がる光景の異様さに思わず息をのんだ。何百いや何千というこじきの群れが、街のあちらこちらに無言で突っ立って、一様に口をぽかんと開けたまま彼方を指差していたのです。こじきはまるで斎場の場所を指示する「○○家」という葬儀屋の掲示物のように、みな「Follow
The Beggar's
Sign」と書かれたダンボールの札を首からぶら下げていました。それが右を向いても左を向いても、等間隔に果てしなく連綿とつづいているのです。わたくしは異次元空間に迷い込んだかのような恐怖をおぼえながらも、押さえきれない好奇心の命じるままにこのこじきの道案内にしたがうことにした。
街中に突如出現したこじきの標識は、鏡地獄の多重構造にも似た幾何学的均衡とカオスを形成しており、美しくも恐ろしい精巧な迷宮(ラビリンス)といった様相を呈していました。このエリアに迷い込んだ者は、もはや生きて逃れることはできないのではないか。そう思うとわたくしの五糎(センチ)ほど皮の余ったちんこの先まで震えが来て止まらなくなりました。上空から眺めたらさぞかし壮観だろう。そこに隠されているのは天の啓示か、はたまた悪魔のたくらみか。。。
こじきの指示した道をたどると、やがて一軒のコギタナイ店にたどり着きました。看板には「喫茶 自滅倶楽部」という店名が気の滅入るような書体で書かれていました。店先に《イラッシャイマセ》とこれまた凶悪な字体で書かれた赤い幟が立っており、そのそばにはこんな手書きの貼紙がありました。
「30th
Annual Convention of International Beggars
Association」
《国際こじき協会》とでも訳すのでしょうか。いずれにせよそんな組織の名前は初耳でした。どんな国際色豊かなこじきがこの小さなお店に集結しているというのでしょうか。わたくしは好奇心を押さえきれず、「自滅倶楽部」の扉を開いたのです。
店に入ったとたん、わたくしは「くさっ!」と思いました。うすぐらい店内にたまねぎの腐ったような強烈な臭いがたちこめています。
BGMに流れている音楽に聞き覚えがありました。YUIという歌手の曲に似ていましたが、YVEという歌手が歌う「天使がくれたもの」という別の曲でした。
複数のブロックに仕切られた店内にはいくつかの展示用ブースが設けられ、見るからにこぎたない連中がひしめいていました。わたくしは見物して回ることにしました。
《健康》ブースでは、上下そろいのジャージーを着用した陽気なこじきが声を張り上げています。
「わたくしが開発したこの包茎矯正ベルトをごらんくだしあ。これを使えばどんな頑固な皮かむりもたちどころに解消、二本の輪ゴムをたばねて強化したベルトが包皮をやさしく補正し、ごく自然に亀頭を露出してくれるのです。ただいま特許申請中」
こじきは下半身むきだしで矯正ベルトの使い方を実演していました。わたくしは若干心を惹かれつつも別のブースへ移動しました。
《食品》ブースでは奇妙なものが売られていました。毛の生えたきんたまみたいな形の実(ライチではないようです)と、これを丹念に皮をむいて茹でてこねたものが試食用として山積みになっており、こじきが争ってもぐもぐと食べています。いかにも汚らしい食べ物で、おかしな匂いも漂っていました。わたくしには、うんこに似た何か、またはうんこそのものとしか思えませんでした。
近くで怒声があがりました。どうやらこじきどうしが試食品をとりあってけんかを始めたようです。
「あんた、食い方がきたないんだよ! もちゃもちゃ音たてやがって。はやくどっか行ってくれねえかなあ?」
「てめえこそペタペタ歩くんじゃねえよ、この変態スリッパやろう!」
ののしりあうこじきたちを眺めながら、わたくしは心底どうでもいいなあと思いました。
《科学》ブースを覗くと、「こじきの体温を利用した暖房システム」なるものが紹介されており、インテリ風のこじきが熱心に見入っていました。なんとこの喫茶店もこのシステムにより暖められているそうです。どうりで生暖かいきもちわるい空気が漂っていると思った。他にも「こじきのおじぎ力を利用した発電システム」といった不毛な発明が目をひきました。
《ハト》と書かれたブースでは、大量の鳩が首を前後に動かして右往左往していました。なんのことやらわけがわかりませんでした。
《詩人》と書かれたブースの前に行くと、頭にパンツをかぶった男が、《宇宙のエロス》とかなんとか、わけのわからないポエムもどきを朗読していました。これも心底どうでもいい感じのパフォーマンスでした。
ひときわおおぜいの観客を集めているブースがありました。
《神》と掲示されたそのブースでは、頭が尋常でなく大きい女こじきが、みずから「神」と名乗り、ヒステリックな調子で演説をまくしたてていました。しかしながら、こじきの頭部は提灯みたいなかぶりもので覆われているため、神秘的というよりもむしろ滑稽に映るのでした。
「人生とはウンコである。このシンプルな事実にどうして気づかないのでしょうか。人生において、わたくしを真に勃起せしむるほどの光景にはついぞ出くわさなかったのであり、それはあながちわたくしのイムポテンツァが原因とも限らないのです・・・
この世界を少しでもよくしたいと本気で思うのなら今すぐ人類はクビをつるべきだというのがわたくしの持論である。人間が活動するほど地球の資源を食い荒らすのだから絶望的です。いわば個人の利己的活動の集積を社会と総称しているに過ぎません。消費の抑制と促進のディレンマを装いながら、確実に腐敗していく人類の愚かさよ。ツゴウの悪い事実には目を伏せて前向きと称するいつわりのポジチブシンキンが蔓延し、おのれの恥部を凝視する勇気もないヘタレぞろい、それがこの国の実態です。暴く側も暴かれる側も避けがたくアホだという事実だけがいま浮き彫りになったのです」
こじきたちがいっせいに歓声を挙げます。
「ひとつ誤解しないでいただきたいのは、おまえたち個人の意見はことごとく無視されるということです。なぜなら、おまえたち一匹一匹の意見を理解するのはとてつもなくめんどくさいからです。わたくしが理想とする社会のあり方は《対話の拒否》であり《コミュニケーションの断絶》である」
「きこうでんびちこ」と名乗る女こじきの言葉の端々には人類への憎悪と絶望、そしてみんな死ねばいいという祈りがこめられていた。きこうでんびちこはさらに落ち着き払ってこう続けた。
「人類のうんこくさい歴史のなかにあって唯一保存する価値があるのはエロスのそれである。エロスが世界を救うという信念のもと、今から三十年前に誕生したのがこの国際こじき協会です。わたくしどもが標榜する《世界こじき化計画》はいまや深く静かに進行し、エロスを中心とした廃人社会を築くため、多くのこじき同志が日夜こじき活動に励んでいます」
きこうでんびちこは、《ウンコペレストロイカ》《戦闘的オナニズム》《奴隷制度の復活》といった言葉を交えながらその計画の全貌を語った。
このきちがい女は、こじきを使って世界を征服し、廃人のための理想郷を打ち立てようとしているのであった。この街を拠点としたこじき包囲網が目に見えない速度でひそかにしかし着実に浸透し、世界規模のこじきネットワークが構築されつつあるらしかった。
そのとき、きこうでんびちこの形相がにわかに一変し、凶悪な殺気を放った。
「しかしながら、今日、この会場に、わたくしどもの計画に異議を唱える者が混じっています」
会場がざわついた。
「おまえ!」
きこうでんびちこの指はまっすぐにわたくしの顔面をとらえていた。
聴衆がいっせいにぞろりとわたくしの方を振り向いた。敵意に満ちたまなざしが突き刺さった。
「おまえ、、、隠しきれない邪悪な思念波が、おつむから漏れておるぞ!」
なぜだ。どうしてわたくしが、異分子であると、判ったのだ。。。
わたくしは意を決して、きこうでんびちこに抗弁した。
「あ、あんたは間違っている! 現行のシステムを批判し、手前勝手な理屈で都合のよいシステムに上書きしようとしているのはあんたも同じじゃないか。なにが《世界こじき化計画》だ。それこそ独善以外の何者でもない。あんたこそとんでもないサヂストの独裁主義者だ!」
きこうでんびちこの顔面は怒りのあまり紅潮し、心なしか巨大な頭部から湯気のようなものが放出されているように感じた。
『おまえの意見は却下されました』
ペンチで締め付けられるような激痛が頭部に走った。
『おまえの意見は却下されました』
きこうでんびちこの《意識》がわたくしの脳に侵入してくるのがわかった。抗いがたい凶暴な力によって、わたくしの思考はねじふせられた。こ、この女・・・テレパスか・・・!
『おまえの意見は却下されました』
わたくしは力をふりしぼって前に進んだ。貧相なこじきがわたくしの肩をつかんだが、わたくしは強引にふりはらった。
前方に渦巻くこじきどもの混乱をかき分け、壇上のきこうでんびちこに近づいた。びちこは驚きと恐怖の表情をありありと浮かべた。
『おまえ・・・』
「きさまの正体をあばいてやる!」
わたくしはきこうでんびちこの頭にかぶせられた意味不明なかぶりものをひきはがした。と、尋常でない量の縮れ毛が現れた。かぶりものの締め付けから解放されたびちこの頭はだらしなく二倍に拡張し、湯気を放っていた。まるで巨大な●んたまのような醜悪なそのバケモノは金属的な悲鳴を上げた。同時にわたくしの意識は遠のき、暗黒の淵へとひきずりこまれた。
***
わたくちは今、この街の病院の一室で暮らしています。数度にわたる脳外科手術のおかげで、以前よりも頭がすっきりし、性格も明るくなったような気がします。毎日がててもたのしいです。
そんなわけで、鉄格子の向こうのあのきわどく美しい空からいつの日かでかい●んたまが降りてきて、この世界を踏み潰してくれることをわたくちは心から祈っています。(了)
ベーカー街の一角にある下宿屋を訪ねると、赤いドレスに身を包んだ内股の男とタンクトップ姿のヒゲもじゃの中年男が腕を組んで現れた。
女装した内股の男は手にもった器具で何かカシャカシャとしきりに音をたてている。
「彼がホームズだ」ヒゲの男が内股の男を紹介した。
内股の男は手にした器具をせわしなく鳴らしながらわたくしに流し目を送った。
「お目にかかれて光栄です」とわたくしは言った。「お噂はかねがね」
ホームズはイギリスの名門ペパーミント大学(所在地は不明だが)で女装学を専攻し、服装倒錯症(トランスヴェスティズム)に関する研究を行なっていたと聞く。しかし、まさか彼自身が本物のオカマだったとは。
「そしてわたくしがドクターワトソン。公私にわたるホームズのパートナーでもある」
内股とヒゲはしばらく見つめあった。この下宿屋に同居しているという二人の関係を憶測しかけたが、おぞましくなってやめた。
「しかしホームズさん。そんな極端な内股で歩きにくくないですか?」
「これはわたくしの開発した内股健康法でしてね。断じてオカマなどではありません」
ホームズは内股でわたくしを部屋に通し、得意そうに手に持った器具をカシャカシャとやった。
「それはひょっとして《エーカン》ではありませんか」
「その通りです。《みるみる字がウマくなる!》のキャッチコピーで有名な幻のペン字トレーニングマシーン《エーカン》です。そういうあなたこそ、現役のエーカニストですね?」
「どうしてわかったのですか!」
驚いてわたくしが尋ねると、
「エーカニストは手を見れば一目瞭然です」
ホームズはおやゆびに刻まれたたくましいエーカンだこを誇らしげに示した。
席をすすめられ、わたくしたちはテーブルに向かい合って座った。ワトソンがホームズの隣にぴったりと寄り添った。
「では、お話をうかがいましょうか。今日はどのようなご相談ですかな」
「じつは昨夜、わたくしのペットの蛸が何者かに殺害されたのです。キューちゃん、これが蛸の名前ですが、キューちゃんはお風呂にもついてきて一緒に入るほどわたくしになついていました。本当にかわいいやつでした。そのキューちゃんが昨夜、わたくしがうたた寝をしている間に、あろうことか刺身にされていたのです。ご丁寧にツマまで添えて皿に盛り付けられていました。これがその写真です」
わたくしは携帯電話に保存した蛸の死体画像を二人に示した。
美しくスライスされた蛸の刺身が、巨大な菊の花のように皿に盛り付けられていた。
ホームズはいささか物憂げにエーカンをはじく指を止め、食い入るように画像に見入った。
やがてケータイのディスプレイを静かにみずからの股間におしあてた。
わたくしが声をあげようとすると、ドクターワトソンが人差し指を口にあてて無言でいさめた。
ホームズはおもむろに股間から写真を離し、血走った目をカッと開いた。
室内に緊張が奔り、わたくしは息をのんだ。
「最初にいくつか質問をさせていただきます。まず、どうしてあなたはこの画像の蛸がキューちゃんであるとわかったのですか?」
「それは、キューちゃんを飼っていた水槽がカラになっていたことと、盛りつけられた蛸の模様がキューちゃんにそっくりだったからです。キューちゃんが刺身になったと考えるのが自然でしょう」
「なるほど、ですがマダコは皮膚の模様を時々刻々と替える軟体生物。個体の同一性を外見から判別することは容易ではありません。質問を変えます。仮に蛸の刺身の主がキューちゃんだったとします。どうしてあなたはその蛸の死体を写真に収めようと思ったのですか?」
「それは、自分でもわかりません。いま思えば、蛸を失った悲しみのあまり気が動転していたのかもしれません」
「混乱していたにしては、この画像には一切のブレがありませんね。構図も完璧です。一見冷静とも思える行動ですが、まあいいでしょう。では、これが最後の質問です。あなたは殺害されたキューちゃんの遺体をどうなさいましたか?」
「そ、それは・・・」
「食べたのですね?」
「・・・はい、この後、おいしくいただきました。捨てたり埋めたりするにしのびなく、せめてもの供養にと思ったのです」
「なるほど、愛するキューちゃんが刺身にされて気が動転したあなたは、ケータイで冷静に撮影したあと、供養のためその遺体を食べた。まちがいないですね?」
「はい」
「愛するものを殺し、写真に収めるという行為、なおかつその肉を食らうという行為は、犯罪心理学の世界ではさほど珍しい事例ではありません。所有欲を満たすとともに証拠隠滅も図れる」
「待ってください。それではまるでわたくしが・・・」
「そう。犯人はあなたです」ホームズの人差し指はまっすぐにわたくしの顔面に突きつけられていた。「あなたがキューちゃんをさばき、そして自分で食べたのです!!」
「ば、ばかな!」わたくしは思わず立ち上がった。「どうしてこのわたくしが、わが子同然にかわいがっていたキューちゃんを殺さなければならないのですか!」
「その通り。この事件のやっかいな点は動機の不在にあります。さっきから聞いていると、あなたのお話はまるで支離滅裂です。事件発生時、あなたは居眠りをしていたとおっしゃいましたね。あなたは、気が動転していたというよりも、ねぼけていたのではありませんか?」
「たしかに、前後の記憶が欠落しているのは間違いありません。ですが、、、」
「エーカンを続けているのはなぜですか」
「そ、それは」
「字がうまくなりたいというのは建前。じつは突発的に前後不覚に陥るのを防ぐためではないですか?」
「・・・」
「ズバリ、あなたは嗜眠症(ナルコレプシー)と夢中遊行症に悩まされてらっしゃいますね?」
わたくしは急激なめまいにおそわれた。ホームズの声もどこか別の世界から響いてくるようだった。
「ねぼけ殺人・・・」ワトソンが目をまるくした。「だがそうだとしても、どうしても腑に落ちない点がある。ねぼけて調理したにしてはあまりにも整然と盛りつけられたこの刺身。これはどう見てもプロの仕事だ」
「その通りだワトソン。この刺身画像はじつはキューちゃんのものではない。よくみたまえ、ワサビの小袋が添えられている。これはスーパーで買ってきた刺身だ。もっとも、おおかたどこかのグルメ系ブログからパクってきたものじゃないかとにらんでいるがね」
「なるほど、それならツジツマが合う。では、本物のキューちゃんはいったいどこへ?」
「この男がねぼけて殺し、ねぼけて食べたのはおそらく間違いないだろう。そして無意識のうちに自身の罪悪感から逃れるため、あたかも第三者の犯行であるかのように装い、こんな見え透いた芝居を打った」
「うーむ、さすがはホームズ、みごとだ!」
「しょほてきな推理だよ、ワトソンくん!」ホームズはうれしそうにエーカンを異常な速度ではじいた。
「さっそくこの事件についてヤフーニュースのトップに出るようマスコミに情報を流そう。そして投稿されたまぬけなコメントを眺めて悦に入ろうじゃないか!」
「えー。やだよー(笑)」
「だよねー(笑)」
手をたたいて爆笑するホームズとワトソン。
わたくしはふらふらと立ち上がり、拳銃をフトコロからとりだした。
いちゃつく2匹のオカマにひきがねをひく。
床でくるくると回転するエーカンの音を聞きながらわたくしは深い眠りに落ちた。(了)
あれは果たして本当にあった出来事なのでしょうか。それともつかのまの午睡に見たとりとめのない夢の一部だったのでしょうか。
今となっては定かではありません。確かなのは、その日を境にわたくしの人生は一変してしまったということです。
事の発端は、わたくしが借りた本を返すため公立図書館を訪れたときでした。
ホールに入ると、あまり身なりのよくないこどもが待ち構えていました。そして、いきなりオモチャの銃をわたくしに向け、安っぽい電子音をみずからの口から発しながら撃ってきたのです。一見してそれとわかる《かわいそうな家のこども》でした。
とっさにわたくしはこじきの攻撃を手で防ぎました。するとこじきのこどもはあわてて図書館のなかに退却していきました。館内は閑散としており、銃を乱射するこじきのこどもの声だけが響き渡っています。図書館の司書はあきらめたようにそれをながめています。
閲覧コーナーの一角にさきほどのこどもの父親とおぼしき汚い風体の男が足を広げて座っていました。男はこどもを制止するでもなく、虚空に向かってなにごとか大声でつぶやいています。よく聞くと、「なんという痛ましい田舎町だ」という意味のことを言っているようでした。
男はわたくしの視線に気づくと、急になれなれしい口調でこう話しかけてきました。
「どうも、お嬢さん。うちの愚息がご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません。お詫びと言っては何ですが、一杯いかがですか?」
そういうとこじきは、机の上に置いた缶コーヒーと缶ビールの中身を半分ずつ紙コップに注ぎ、わたくしに差し出しました。館内での飲食は禁止のはずですが、こじきはお構いなしでした。無視して立ち去っても良かったのですが、こじきの生態に興味をおぼえたわたくしは、しばらく相手をすることにしました。もちろんこじきを増長させないよう、あくまで無愛想な態度を貫きながら。勧められたきもい飲み物をわたくしが丁重に固辞すると、こじきはうまそうに自分で飲み干すのでした。やがてこじきはわたくしが手にしている本に目をつけ、一方的に話し始めました。
「・・・ほほう、これが例のライフファックというやつですか。要するにアホ向けのハウツー本ですな。どれどれ。なーるほど、《電車の中で片手で本を読む技術》と。いや、別に威張るわけじゃありませんがね、これはわたくしが小学校低学年のときに発明しているんですよ。正直なところ、今さらの感に堪えませんね・・・」
「・・・電車といえば、電車のつかまり棒に無数の指紋がついているのを見ると死にたくなりませんか? わたくしは死にたくなります。空中に拡散し希釈された他人の屁を勢いよく吸い込んだ瞬間のあのへこみ具合にも似た《絶望》、とでも言えばお分かりいただけるでしょうか・・・」
「・・・しかし夏はくさいですね。BBCテレタビイズのベビイサンみたいな凶悪なやつが天空にぎらついていて気分を滅入らせます。やつはものみなを腐らせるつもりのようです。冷たい水の底に沈んだ砂金の夢も、記憶のなかにわずかに残った美しい思い出も、腐ったちくわと河原に打ち上げられたザリガニの腐臭をあわせたような臭いを発しながら、狂ったようなスピードで終末へ向かうのです・・・」
「・・・わたくしのちんこに狂いがなければ、日本は近い将来、確実に崩壊することでしょう。わたくしがこじきに身を窶している理由は実のところそのあたりにあるのです。まあせいぜい未来への希望に満ちたキショイまなざしをむけ、ゆかいなウンコフルライフを思い描くがよいでしょう。もっとも、アホを拡大再生産する痛ましいポンニツ文化がほろんだところで、わたくしのちんこは一ミリも反応しませんがね・・・」
こじきはあくびまじりに話しながら、コーヒーとビールをブレンドした例のきもい飲み物を頻りにわたくしに勧めます。
「そうそう、わたくしのコレクションをお見せしましょうか・・・」
そういうとこじきはまるでマジシャンのようにコートの袖から、次から次へと薄汚い物品をとりだして机の上に並べてみせるのだった。
こじきが陳列したガラクタのすべてを詳述する余裕はないので、《こじき七つ道具》と称する代表的なアイテムを紹介するに留めたい。
・ストロー(上端3分の1あたりが蛇腹になったフレキシブルなやつ)
・空き缶
・輪ゴム
・わりばし
・つまようじ
・ハブラシ
・漫画雑誌
・ハト
「これらは日常のこじき活動に不可欠な、あらゆる場面でマルチに活躍する優れものです」
こじきは誇らしげにひとつひとつを取り上げて陽光にかざし、むちゅうでそれらの用途について講釈を垂れるのでした。ドバトの餌付けに成功していることには正直驚きました。伝書鳩のような通信手段に使うのかもしれません。
「最後にとっておきのものをお見せしましょう」
次の瞬間、こじきは立ち上がり、まとっていたボロをおもむろに脱ぎ始めました。わたくしが身構えたのは言うまでもありません。狼狽するわたくしをよそに、こじきはリズミカルな動作でボロを脱ぎ捨てていきます。わたくしは羞恥心と好奇心の入り混じったキモチで固唾を呑んでその光景を見守りました。
最終的にそこに現れたのは、意外なものでした。きらきらと金属的な光沢を帯びた鎧を装着し、おもちゃの電子銃で完全武装したこじきがそこに立っていたのです。むかし『ロボコップ』という映画がありましたが、ちょうどあのコスチュームを極端に貧乏くさくした感じのものでした。
「どうです、かっこいいでしょう?」まばゆいスーツをまとったこじきは照れくさそうに顔を赧らめた。「じつはこれ、すべて拾った空き缶で作ったものです。アルミ缶を切開して平らに伸ばし、つなぎ合わせました。型抜きから溶接まですべて自分でこなしたんですよ。胸板などにはスチール缶を用いて補強しました。こちらは固いので加工に骨が折れましたけどね」
窓からさしこむ夕陽を浴び、こじきの全身は燃え立つような黄金色に輝いていました。それは、わたくしがこれまでの人生で目にしたなかでもっとも鮮烈な光景でした。
「このスーツはあらゆる危険から身を守ってくれます。こいつさえあれば、世界最終戦争(アルマゲドン)を生き抜くことも不可能ではありません・・・」
それからどこをどうして帰ってきたのか、自分でもよく覚えていません。気がつけばわたくしはアパートの自室で会社あての辞表を書いていました。いま思えば、こじきのこどもに銃撃されたあの瞬間から、わたくしはわたくしでなくなったのかもしれません。ともかく、大急ぎで書いた辞表を勤務先に速達で郵送しました。そしてあるだけの空き缶を近所から集めて、あのこじきスーツを再現しようと奮闘したのです。三日三晩、不眠不休で作業を行い、悪戦苦闘のすえ出来上がったのがいま身に着けているこのスーツです。スーツが完成すると、わたくしは身の回りのものすべてをオークションで売り払い、現金に変えました。携帯電話もクレジットカードも銀行口座もアパートも解約し、必要最低限のものだけをもって住処を公園に定めました。以来、こじきスーツにボロを羽織り、《こじき七つ道具》を忍ばせてゴミをあさるのがわたくしの日課となったのです。始めてみるとこじきの暮らしは意外に快適で、なおかつ刺激に富んでいました。そしてあのこじきの言ったとおり、こじきスーツが何度もわたくしの身を守ってくれました。その後、何度か図書館を訪れましたが、あの親子に出会うことはついにありませんでした。あれはやはりまぼろしだったのでしょうか。
今日もわたくしはゴミをあさりながら思うのです。遠からずわたくしは廃人と成り果てることでしょう。でも、後悔はしていない。いや、むしろこれはわたくしが生まれる前から望んでいたことではないだろうか。そんな風にすら思うのです。
わたくしに言えるのはただ一つ。この世界が滅びようがどうなろうがもはや知ったことではないということ。そして世界最終戦争の果てに生き残るのは、間違いなくわたくしどもこじきであるということ。
次にこじきのこどもに撃たれるのはあなたかもしれない。(了)
「わたくそに 命あずけよ 10円で」
一瞬、幻覚でも見ているのかと思った。なにしろ玄関先に大男を連れた汚いババアが突っ立っており、10円硬貨を差し出しながら俳句を詠んだのだから。
「はあ?」おれはわけがわからないという意味の返答をした。
「オマエの命を、10円であずけろと申しておるのじゃ!」
ババアはおれに10円をにぎらせながら言った。
「あのなあバアさん、常識で考えてみろよ。とつぜん目の前に現れた謎のババアの理不尽な要求なんか聞けるわけないだろう?」
おれは反射的に10円をポケットにねじこみながら反論した。
「ふふふ。やはり思ったとおりだ。おまえには相当なこじきの素質があるようだな。いや、100匹に1匹いるかいないかの逸材と言ってもよい。どうだ。わたくそどものもとで働いてみませんか?」
「ははーん、さてはこれが噂に聞く《こじきトラップ》というやつか。さいきん町中のこじきが行方不明になっているという噂が流れていたが、どうやらオマエがその原因だな! とうとう町にこじきが一匹もいなくなったので、こんどは一般人をつかまえようという魂胆だな。どうだ、図星だろう!」
「人聞きの悪いことを言わないでください。わたくそどもの目的は優れたこじきの素質を持つ一般人をスカウトし、一流のこじきを養成することにあるのです。なんじ選ばれしものよ。われらがイタチアザラシ様ことエロビキニ公爵様の夢の王国へご案内しましょう」
おれはババアの部下の大男にむりやり車に乗せられ、目隠しをされてどっかへ連れて行かれた。
人身売買などというものはどこか遠い異国の話だとばかり思っていたが、まさかこの現代の日本で、しかも自分の身に降りかかろうとは。しかし人間の命の値段が10円とは随分安くなったものだ。バナナの叩き売り以下ではないか。習慣とは言え10円に目がくらんだ自分のこじき根性がうらめしかった。
あれこれ考えているうちに目的地に到着したと見え、目隠しをはずされた。
「おおお、なんだこれは!」
そこは巨大な工場のような場所だった。なんともいえない異臭がたちこめるなか、悪夢のような光景が広がっていた。襤褸(ぼろ)をまとった乞食たちがずらりと筵(むしろ)を並べ、一心不乱におじぎをしていたのである。こじきはめいめいヘルメットのようなものをかぶっており、それが後方の機械に連結されていた。どうやら乞食がおじぎをする力を利用して何かを動かしているらしかった。
「この工場では総勢107匹のこじきが昼夜の別なくおじぎをしちえいます。おじぎする力を電気エネルギーに変換し、このシステムそのものを維持しているのです。名づけて108匹こじき自家発電システム。その108匹目に見事選ばれたのがおまえです」
「どうでもいいがおっそろしく効率の悪いシステムだなあ。こじき発電って、要するに人力じゃないか」
「まあそう言うな。こじき発電は石油資源に代わる新しいエネルギーを追求した新時代のシステムなのです。しかもこじきたちはおじぎの回数に応じた配当を受け取ることができます。公平性の観点から言っても実に合理的なシステムです」
よくみると、乞食が頭を下げるたびにめいめいの前におかれた空き缶に硬貨が投入される仕組みになっていた。
「なるほど、完全な従量制というわけか。しかしこれではまるでニワトリ小屋かブロイラー工場のようだ。アウシュビッツ強制収容所さながらの光景ではありませんか!」
「その通り。さすがにわたくそが見込んだだけのことはある。イタチアザラシ様ことエロビキニ公爵様は、ここで現代のアウシュビッツを再現なさろうとしているのです!」
「なにがエロビキニ公爵だ!頭がおかしいんじゃないのか?その公爵様とやらをここに連れてきやがれ。どうせハリボテの人形かなんかだろう!」
「うるさい!黙れこのこじきめ!」ババアは血走った目で叫ぶ。「イタチアザラシ様ことエロビキニ公爵様の崇高な一億総こじき化計画に異義を唱えるのか!こじきの分際で!」
「こじきでけっこうだ。こんなことになったのも、何も知らずにのうのうと暮らし、このような非人道的な行為を見過ごしてきたおれたちにもせきにんがあるのかもしれない。この国のこじき政策のあり方をもういちど見直すべき時期に来ているのではないでしょうか!」
「ええい、口のへらないこじきめ!」
ババアはあごをしゃくって部下の大男に指示をくだした。おれはテキパキと襤褸に着替えさせられ、108番目の筵の上に転がされた。
「ほっほっほっ。もう逃げられまい。観念せよ!」
「ババアよ!おまえはそもそも何者なんだ!」
すると、逆光を浴びたババアのシルエットがこう叫んだ。
「わたくその名はきこうでんビチ子!」
「きこうでんびちこ!どこかで聞いたことがあるぞ。そうか、思い出した。かつて10年におよぶこじき遍歴の軌跡をみずみずしい文体で綴った自叙伝風童話『はれ、ときどきこじき』により一世を風靡しながらもその後AV女優に謎の転身を遂げた、あのきこうでんビチ子か!」
「ビチ子妃殿下とお呼び!」
ビチ子はいつのまにか鞭とろうそくを持って立っていた。
ビチ子が鞭をふるった。股間に激痛が走り、思わずおれは体を折り曲げた。おれの前の空き缶に硬貨が落ちる音が聞こえた。その音を聞いたとたん、おれの中で何かが目覚めたような気がした。脳内を不思議な快楽が満たしていくのを感じた。
あたりをみわたすと、こじきたちは誰もかれもが恍惚の表情をたたえていた。そうか、こいつらもこうして妃殿下の手に・・・。
おれは猛烈な勢いでおじぎを繰り出しながら、残りの人生をこれにかけてみるのも悪くないなと思った。(了)
「失礼ですが、町いちばんのこじきというのはあなたですか?」
「いかにも、わたくしが町いちばんのこじきだが。いったい何を恵んでくれるのかね?」
「おお、さっそく物乞いとは。噂にたがわぬこじきぶりだ。申し遅れました、わたくし週刊『プレイぼうや』編集部のちんぼうじろうと申します。このたび弊誌でこじき特集を組むことになり、ついては町でいちばんと評判のこじきの方にぜひお話をうかがいたいと思いまして。お礼はキャッシュで100円にていかがでしょうか」
「うむ、ひきうけた」
「ご協力ありがとうございます。ところで、さきほどからものすごいキョトつきぶりですが、何を探してらっしゃるのですか?」
「こじきたるもの常に周囲にアンテナをはりめぐらし、めぼしい情報をキャッチするよう努めなければなりません。これによりファーストフード店やレストランのゴミ出しのタイミングを把握するのみならず、車にはねられる危険性を回避したり、心ない投石や野良犬の襲撃に備えることができます。また、このように挙動不審を積極的に実演し、みずからのこじき性を周囲にアピールすることで、より多くのこじきチャンスを引き寄せることができるのです」
「なるほど、じつに理にかなったご意見です。しかし偏見かもしれませんが、こじきのみなさんはナマケモノのようにじっと待ってらっしゃるものだとばかり思っていました」
「橋のたもとにゴザを敷いて空き缶を置き、道行く人にケツを向けて寝ていると?(笑)時代遅れのこじき観ですね。優秀なこじきほどみずからの欲望に忠実です。こじきは死ぬか生きるかのサバイバルゲーム。確固たる目的意識と冷徹な判断力がなければ勝ち抜くことは不可能です。われわれはこれを《こじき力》と呼んでいます」
「ははあ、これは深い。最後に、今後の抱負などをお聞かせいただけますか」
「いま最も興味を持っているのが異分野とのコラボレーションです。わたくしはこじきとアートの融合を目指したこじきアートという概念を提唱しています。こじきは社会に寄生するだけの非生産的行為と思われがちですが、不用品の再利用などこれまでリサイクル活動に積極的に貢献してきました。さらに見た目の美しさや楽しさを演出することにより、街角にささやかな癒しの空間を提供していきたいと思っています。職能集団としての自覚のもと、持続可能な社会の発展を見据え、アートとエコロジー双方の観点からフィランソロピーを実現していく。これが今後の正しいこじき社会のあり方だと思いますね」
「なるほど、こじきの未来は明るい、と。今日は本当に貴重なお話をありがとうございました。ほらよ(チャリン)」
「おありがとうございー」
ひまで仕方がないので近所の公園に鳩を観察しにいきました。するとひまでひまで仕方がないという感じのこじきが公園の鳩を無表情に眺めていました。ペットボトルに詰めた水で10倍に薄めたカレーをあげると、こじきはうれしそうに飲み干して、こんな話を始めました。
第一章 鳩ニ・翼デ・シバカレタ
「じっさい鳩がもつ形態のシンメトリックな均衡と無機的な質感、ゼンマイ仕掛けの玩具を想起させる異様な動きには少なからずフェチズムを喚起する要素があると思うのです。さらにキジバトが発する《デデッポッポー》とも表記される独特の節回しの鳴き声には1/fゆらぎ+マイナスイヲン効果が認められております。言い換えるならばわたくしが鳩に感じているのはエロスとポエジーです。わたくしの言うてることがわからんやつは犬のうんこを踏んで爆死したらいいのです」
第二章 闇にひきこもる変態または宇宙のエロス
「大宇宙とのファックという途方もない想像に身をゆだねたことがある方ならおわかりいただけるかもしれませんが、ポエムはひとつのマクロ的な宇宙(コスモ)であると同時にごく身近なところでミクロ的なコスモを体現しています。具体的に言えばそれはうんこです。ひとつひとつのうんこの内部にポエムは存在します。内部にポエムを宿しその輝きを内側から放つからこそうんこはわたくしどものココロを打つのです。銀河のようにちりばめられたうんこのひとつひとつがキラキラとまたたくポエムなのです。さきほどもあたくしは虹色に輝く一組の美しい犬のうんこを拾いました。わたくしは彼らを希望(のあ)と光(ぴか)と名づけ、海に還してやりました。」
第三章 さよなら三角また来てこじき
「おや、もうこんな時間だ。見知らぬお方についつい長話をしてしまいましたね。鳩とうんことポエムの三位一体性なんぞとまくしたて、さぞかし頭のおかしいこじきだと思われたことでしょう。まあそんなわけで、わたくしはこんな風にちいとばかし気難しい、不幸なこじきになってしまったのですよ。ではここらへんでおいとましましょう。仕事(鳩の観察)の続きが残っているもので。ああ、カレー、どうもごちそうさまでした。」
「今朝、かっこぃぃUNKOが出たのでいっしょに記念撮影したお☆
うpしたから観てね~♪ ̄∇ ̄)ノ」
逸る心を抑えつつリンクをクリックすると、そこには頬を赤らめた美少女が自己の巨大な副産物とツーショットを決めているおぞましい光景が映っていた――。
うんこ専門のインターネットサイトがあるという噂がネット上に流れたのは今から3年前のことであるが、実際にそのサイトを見たと言う者はなく、ネット界隈の都市伝説と化していた感があった。しかしこのたびわたくしは、極秘ルートを通じて遂に探し当てたのである。幻のうんこサイトholysh*t.comを。
「生体内で食物を分解しウンコに変換する作業。これこそは最も美しくダイナミックな生体活動であり、自己と自然との尽きせぬ交感である」
このような声明がトップページに記載されていたが、中身はよくある画像掲示板で、冒頭のような見るに耐えないスカトロ画像が大量にアップロードされていた。まさに糞サイトだった。
しかし唯一わたくしの興味を引いたものがあった。サイトの片隅にひっそりと紹介されていた幻の《うんこの聖地》の存在である。
こうして、西アフリカの奥地に存在するというその聖地を訪ねるため、わたくしたちは一路取材の旅に出発したのである。
***
それはウンパギと言う小さな村のはずれにあると言われていた。ウンパギ村は、正体不明の唯一神を中心とした閉鎖的な宗教共同体らしく、その神の名を口にしたものは必ず死ぬと言う不吉な噂がつきまとっていた。
村にたどり着くとわたくしたちは早速取材を開始した。
木陰に佇んでいた男にわたくしは背後から声をかけた。
男はギョッとして振り返り、あわててパンツに何かを押し込んだ。
「なんだよ!」
男は指をズボンでぬぐいながら、決まり悪そうにわたくしたちを睨む。
「お取り込み中すみません。わたくしたちは日本から来たテレビ番組制作会社の者です。この辺りにうんこの聖地があると聞いたのですが・・・」
男の顔がたちまち青褪めた。
「し、知らん! 知らん知らん!」
「この村には謎めいたものを感じます。聞けば、村人が信奉する神様が存在するというではありませんか。その名を口にしたものは必ず死ぬとも」
「知らないってば!ただの迷信だ、ばかばかしい。誰が唯一神クウソなど・・・しまっ」
あべしっ!、と男の顔面がいきなり破裂した。血柱を噴きあげて崩れ落ちる男の残骸。
わたくしたちは震えあがった。呪いは確かに実在したのだ。
村の外れに「キケン」「ハイルナ」とペンキで殴り書きされた一画があり、ターバンを巻いた少女が入り口に立っていた。
少女は鋭い声でわたくしたちを諌めた。
「この村は呪われている。命が惜しくばいますぐここを立ち去れ!」
「覚悟は出来ています」
わたくしたちは少女の制止を振り切り、キケン地帯の内部へ歩を進めた。
「おお!」
「これは・・・!」
驚くべき光景がそこに拡がっていた。
見渡す限り一面の野糞。赤や黄色や焦茶色、色とりどりのカラフルなうんこたちが、思い思いの形で群生していた。
なによりわたくしたちの度肝を抜いたのが、中央に聳え立つ巨大なオブジェの存在だった。全長10メートルはあろうかと思われるその造形物の圧倒的な質量と、奇妙にねじれた、不機嫌なソフトクリームのような色と形状・・・それはうんこで作り上げた巨大な仏像であった。うんこで塗り固めた全身にうんこ色の薄い衣をまとい、頭部には小粒の渦巻きうんこが螺髪として丹念に敷き詰められていた。《彼》はあたかもスカトロ=フェテズムの涅槃にまどろむ神のように、瞑目したまま、巨大な蓮の葉の台座に結跏趺坐しているのだった。うんこに神が宿るとはよく言うが、こいつはまさに「生きて」いた。それは《自然》の一部であると同時に、一個の強固な意志を以て、屹然とわたくしどもに対峙していたのである。めくるめく戦慄の波動(プルス)が全身を貫き、名状しがたい感動とともにわたくしはその場に立ちすくんだ。なおかつ恐懼した。あと畏怖した。
「なんて、美しいんだ・・・!」
一同から感嘆のため息が洩れたとき、何者かがわたくしたちの前に立ちはだかった。
「ようこそ、うんこの聖地へ」
そこに現れたのは、先ほど入り口でわたくしたちに警告を発した少女だった。
「ここはすべての生命のふるさと。過去、数多の敬虔な信者が自らの痕跡をこの大地に刻んで参りました。己が生の証を残すために!」
そう叫ぶと少女はターバンを外した。三段うずまきヘアーが禍々しく蜷局を巻いていた。
「君は、一体・・・」
「われこそは、唯一神クウソなり!」
そう叫んだ瞬間、少女の顔が後悔に歪み、ひでぶっ!と頭部が炸裂した。
突如大地に亀裂が走り、頭の割れた少女の亡骸を大量の野糞もろとも呑み込んだ。同行したスタッフと取材キャメラも一瞬で地割れの底に消えた。
わたくしは震えながらその光景を眺めていたが、足元に亀裂が迫ったので走り出した。地鳴りの続く道を夢中で辿り、どうにか村の外へ逃れ出た。
振り返ると、件の大仏が視界をウンコ色に染めながら轟音とともに崩壊するのが見えた。(了)
”ちんこを落としたんです!”
目を血走らせた男が駆け込んできた。
”みませんでしたか、わたくしのちんこを?
ここらへんで、確かにここらへんで落としたのです。
さがしてください、わたくしといっしょに、わたくしのちんこを!”
いや、そんなものは知りません、と私。そんな落し物も届いていません。
ただ、さっきだれかの排泄物とおぼしき物体が床に転がっていましたよ。
トイレに捨てましたけどね。
邪魔だし。
てかうんこだし。
”そそそそ”と男。”そのぅんこ、うんこは
悲しみにぬれてやしませんでしたか?”
さあ、どうでしたかねえ。と私。
そういえば、全体からなんともいえない哀愁のようなものが漂っていましたっけ。
そう、まるで背中で泣いているようにも見えました。
流しましたけど。
”あああああああ”
男は絶望的な声をあげた。
”それは間違いなくわたくしのちんこです!失われたわたくしのちんこです!
それをあなたは、こともあろうにうんことまちがえてトイレに投げ捨て
あまつさえ水で流してしまったというのですか!”
まあ、と私。いいじゃないですか、ちんこのひとつやふたつ。
どうせなんの役にも立ちやしないんですから。
”おまえに”と男は涙目で訴えてきた。”おまえにわたくしの何がわかるというのだ?
いいやわかるものか!ちんこを失ったわたくしの悲しみが!!”
男がつかみかかってきた。
”かえしてください、わたくしのちんこを、かえしてくれ!
かえせ!!”
私はなんだかめんどくさくなって男を殴り倒し、
ふらふらとトイレを出た。
出口に見知らぬちんこが落ちていたので、思い切り遠くへ蹴飛ばした。
空がやけにまぶしかった。
「才田、おはよう」
お調子者の岩本が才田の股間を握り、いつものように才田が「嗚呼、やめてっ」と体をくねらせると、岩本は満足げに自分の席に座った。
転校してきたばかりの才田は、その女性的なルックスと物腰が災いして、下衆な男子の格好の揶揄の対象になっていた。大柄な体躯に似合わぬぽっちゃりした幼い顔立ちはどこかクラスメイトたちの嗜虐心を刺激した。男子校ゆえクラスメイトは全員男である。いつしか才田がオカマであるという噂が自然に立ち、挨拶がわりに才田の尻や股間をさわるのがクラスの一部の間で習慣化していたのだった。
「嗚呼、やめてっ」とどこか熱を帯びた瞳で顔面を紅潮させる才田の姿は、他の同級生の目にも少々異様に映った。「才田=オカマ」という等式が学校中に定着するのに時間はかからなかった。
才田自身もおのれの性向に薄々気づいてはいたものの、やはり心のどこかで否定しているところがあった。しかし、シャワールームや更衣室でほかの男子の裸体に不思議なときめきを覚える自分に、とまどいを隠せないのもまた事実であった。
事件は更衣室で起こった。
生徒たちは体育の授業で火照った体を冷やしながら、あるいは与太を飛ばし、あるいは黙々と着替えを始めていた。かび臭いような饐えたような夏の更衣室の臭気に混じって、若い肉体が発散する青いフェロモンに辺りはむせかえるようだった。
クラス一の秀才で顔も可愛い米田君のひときわ白い裸身を見たとき、才田はハッとした。正確には乳首のあたりにピンときた。なんて綺麗なんだろう。才田は着替える手を止めて、陶然と米田君を見つめた。われ知らず才田の股間は、彼の意志を超越して、一個の生命体でもあるかのようにむくりと首をもたげていた。
何者かの視線を背後に感じ、我に帰った時にはもう遅かった。
「おい、才田が○起してるぞ!」
お調子者の岩本が目ざとく才田の異変を見つけ、大喜びで周囲に報告したのだった。
「こいつ、ヨネちゃんの裸を見て勃ってやがるぜ!」
事実、そのとき才田の一物はもはや弁解の余地がないほど明瞭な鋭角を描いて屹立し、登山隊が宿泊できそうなほど高々とトランクスを持ち上げていた。
「うわ、本当だ。なに考えてんだよ!」
「才田おまえ・・・ガチかよ・・・」
森の嵐のようなどよめきと失笑のなか、事態を遠巻きに眺める米田君の困惑した顔が見えた。才田は羞恥のあまりこのまま消え入りたい気分だった。
クラスメイトが一斉に才田をとりまき、仲間内で密かに流行っていたチューリップの替え歌で囃したてはじめた。
「♪咲いた、咲いた、才田はオカマ~、オカマ、オカマ、オトコが好きだ~、どのちんこみても綺麗だな~♪」
「嗚呼、やめてっ!」
才田は女のような悲鳴をあげてその場にうずくまった。そしてさめざめと泣いた。
しかしそれでも才田の股間の昂ぶりは鎮まらなかった。それどころかさらに硬直の度合いを深めているのは傍目にも明らかだった。
冗談半分だった同級生は一斉に退いた。
「おい、行こうぜ・・・」
「あ、ああ、そうだな・・・ホームルームが始まる、し・・・」
うずくまった才田を残して、生徒たちは気まずそうに教室へぞろぞろとひきあげていった。
ひとりになった更衣室で、床にうずくまったまま才田は自問した。俺はなにをしているのだろう。こんな恥ずかしい格好で、こんな恥ずかしい嗜好をみんなに曝け出して。俺は一体なにをしているんだ。ホモであることがバレた以上、もうまっとうな生活を送ることなどできない。どうすればいいんだ。いや、俺は心の底ではこうなることを望んでいたのかもしれない。なぜならこれが本当の俺だからだ。真実を語るのに、誰に遠慮する必要があるだろうか?恥じることなく、堂々と曝け出せばよい。偽りの仮面を捨てた、本当の俺の姿を。
その瞬間、才田のなかで何かがはじけた。決然とした面持ちで才田は行動を開始した。
完全に目の据わった才田が教室に現れたとき、ホームルームは既に始まっていた。入り口で立っている者の異様な姿に、教室内は一瞬しんと静まり返った。才田の風体は、正気の沙汰とは思えなかった。顔面を絵の具で真っ白に塗りたくっていた。腕や足、胸、腹にはアフリカの土人がするような原色の模様が描かれていた。さらに露出された性器にも南国の鳥のような毳々しいペインティングが施されていた。同じくむきだしになった尻にはネコの顔面が描かれていた(割れ目の部分をうまく利用してあった)。要するに、才田は全裸だった。
「なんだ君は!・・・うわっ、才田」
うろたえる担任を押しのけ、裸の才田は猛然と教室内に進んだ。闖入者の正体が扮装した才田であることに気づき、なにかの冗談だと思って歓声をあげている岩本めがけて才田はまず襲いかかった。教室は騒然となった。
悲鳴をあげて逃げ惑う男子生徒に才田は片端から抱きつき、尻や股間を愛撫して回った。正気を失った才田は意外と力が強く、抵抗する者たちを有無を言わさず羽交い絞めにした。なかんずく米田君に長いことしがみついて離れなかった。
教室を嵐のような狂騒の渦に陥れた後、校長室へ乗り込んだ才田は、校長が通報スイッチを押すのに目もくれず、校長を床に組み敷いてその尻をなでまわし、いとおしげに頬ずりした。これが本当の俺の姿だ。あるがままの自分を受け止めるんだ。これが人生の意味なんだ。
数人がかりで押さえつけられた才田がオルガスムに達したとき、その場にいた誰もが顔をそむけた。
床にねじふせられた才田は満ち足りた微笑を浮かべながら、心のなかで呟いた。
「因果モーホーだな・・・」
そしてみずからの顔面をこぶしで殴り、気絶した。(続く)
「嗚呼、また餌の時間だ・・・」
ベビーフードの空き箱を虚ろに見やりながら、郁子は悩ましいため息をついた。
結婚5年目にして恵まれた子宝。待望の我が子の誕生は、冷えかけた夫婦の絆を取り戻し、明日を照らす希望の灯となってくれるはずだった。それがまさか、こんなことになろうとは・・・。
「天使ちゃん?」
初めて保育器のなかの我が子に呼びかけたとき、振り返った赤ん坊の姿を見て郁子はぞっとした。どう見ても普通ではなかったのだ。
どんよりと濁った陰鬱な目。それがジッと郁子を真正面から睨み据えている。への字に結ばれた口の端は涎の流出を頑なに拒み、同時に周囲からのあらゆる好意をも拒絶しているかのようであった。
赤ん坊は泣きも笑いもしなかった。しかし、知能も身体も発育上はまったく問題ないという。未熟児として生まれたにもかかわらず、むしろ普通の子供の数倍の速度で成長しているとのことだった。唯一欠けているのは、子供らしい無邪気さと人間らしい情動であった。
赤ん坊の薄気味悪さは常軌を逸していた。生後一週間にして首の座った赤ん坊は、四六時中ムスッと大仏のように鎮座していた。そして座ったまま郁子の一挙一動をジロジロと観察した。食餌の世話をするときも、洗いものをしているときも、赤ん坊の執拗な視線が郁子に注がれた。無表情におしだまったまま郁子を淡々と凝視する赤ん坊のねちっこい視線は、まるで根性の腐った小姑のそれを思わせた。
おまけに赤ん坊は言うことをきかなかった。とりわけ、おむつの着用を明瞭に拒絶した。両足を思い切りつっぱって、なんとかはかせようとする郁子の努力にことごとく抗った。業を煮やした郁子が力づくでおむつをはかせると、赤ん坊はあからさまな侮蔑の視線を投げ、迷惑そうにみずからの手でおむつを外した。そうして、ところかまわず垂れ流された汚物を泣きながら掃除する郁子の姿を、赤ん坊はベビーサークルから冷ややかに見つめるのだった。
母乳を与えるときはまさに地獄だった。赤ん坊は郁子の乳房を含んだまま、エロ親爺のような血走った上目づかいで、ちゅうちゅうと厭らしい音をわざと立てて吸うのであった。床に叩きつけたくなる衝動を必死でこらえるとき、赤ん坊はそんな思惑を見透かしたように母親の乳首を強く噛んだ。
以前から帰宅拒否症気味だった夫は、ますます家に寄り付かなくなった。赤ん坊には幸太という名前があったが、夫は嫌悪をこめて彼を「赤ん坊」と呼んだ。郁子はふがいない夫を呪ったが、もはや責める気力すらなくしていた。
そそくさと逃げるように出勤する夫を送り出すと、郁子と赤ん坊の二人きりの時間がはてしなく続いた。耐え切れずトイレに隠れてヒス声を挙げる回数も増えてきた。だがそのヒス声もまた赤ん坊の鋭敏な耳が察知しているのだと思うと郁子は気がくるいそうだった。
郁子は追い詰められていた。育児ノイローゼなどという生易しいものではなかった。半気ちがいになりそうだった。
ふらふらと郁子がリビングに戻ったとき、そのおぞましい生き物は腹をだして寝ていた。への字に結ばれた唇から、豚の悲鳴のようなグロテスクな寝息が漏れていた。
郁子は無意識のうちに、丸々とよく太った赤ん坊の二重あごに手をかけようとした。
そのとき、思いがけず赤ん坊がぱっちりと目を開けた。
郁子は反射的に手をひっこめた。
するとまったく意外なことが起こった。
赤ん坊がニッコリ笑ったのである。あまつさえ、郁子にむかって手をのばし、甘えるように「うだー」と声をあげた。それはまるで天使のように愛らしいしぐさだった。
郁子の眠っていた母性が一気に覚醒した。
あの子が、あの子が心を開いた・・・
郁子はわれ知らず、赤ん坊に手をさしのべていた。
赤ん坊はこころもち首をかしげ、ほほえみながら、
手をさしのべた郁子のもとへのろのろとはいずり寄った。そしてかわいらしい尻を郁子に向けた。
「どうしたの、天使ちゃん?」
赤ん坊は無言で郁子の頭に足をからませ、郁子のこめかみを両足ではさんだ。白桃のような尻の亀裂の奥で、ピンク色の可愛らしいアステリスクがもの問いたげに震えたその瞬間、
ブリバッ
という破裂音とともに熱いほとばしりが郁子の顔面を射た。
どどめ色に染まった郁子の視界の端で、ミスト状の飛沫がキラキラとスパンコールのように輝きながら四方に舞い散るのが見えた。
我に返った郁子の前で、赤ん坊はキャッキャと大声をあげて喜んでいた。それはまるで、満を持して実行に移した計画がものの見事に奏功したことに対する勝ち鬨のようであった。
「それが・・・」下痢便にまみれた顔面を指でぬぐいながら郁子は叫んだ。「それがおまえの答えか!」
どういうわけか、そのとき郁子はへらへらと笑っていた。(続く)
~プロローグ~
バイクでツーリング中の青年が山道を走っている。道路の中央にいきなりおかっぱの女の子が現れ、にっこり微笑む。背後に隠し持った巨大なマサカリをふりあげ、青年の首を跳ねる。農民風の連中がぞろぞろと現れ、シャベルで死体を切り刻む。
男女の旅行者が山奥で道に迷う。引き返そうとするが、車のガソリンが底を尽く。「ようこそ○○村へ」と書かれたボロボロの看板を発見。ハトのイラストが怖い。近くに血まみれのシャベルが落ちていることに二人は気づかない。歩いていると、動物用のワナに女の方がひっかかる。なんとか脱出するが、女はひどい怪我を負ってしまった。助けを求め村にたどりついたが、人っ子ひとりみあたらない。村の奥に民宿があり、女将が無表情ででむかえる。障子の破れ目から女の子が覗いている。出された茶を飲み干した男が、コップのなかの異物に気づき絶叫、嘔吐する。底に蛆虫がうごめいているのだ。女将は死んだように無表情で動かない。大皿に盛られた人間の頭部が運ばれてくる。立ててあった頭部がごろんと転がり、口腔から蛆虫の塊を吐き出す。旅行者は悲鳴をあげて民宿を飛びだす。すると村中にサイレンが鳴り響き、家のなかで漬物を漬けていたばあさんは漬物石をもち、じいさんは農作業中の手を止めてクワをとりあげる。逃げだした二人が命からがら村のはずれにたどりつくと、荒れ果てた農地に首なし死体がごろごろ転がっており、ハトがむらがってついばんでいる。ふと何者かが服をつかむ。ふりかえると女の子が立っている。とたんにうじゃうじゃと農民の集団が現れ、おのおの農具を手に襲いかかってくる。漬物石をもったばあさんが女の脳天をかちわる。草刈り機で首を切り落とし、慣れた手つきで血液を肥桶へ流しこむ。爺さんが男の頭を巨大カボチャで打ちすえ、血抜きをすませた頭部を野壷に放り込む。そのはずみで腐乱した人間の頭部が一斉に浮上する。トラクターで土のなかに死体をまぜこみ、作業完了。今年も豊作を祈りながら、村人たちは民謡を合唱する。(おわり)
坊や私のなかへ生まれておいで
今やおまえは私の手のひらで
妖しくナイフになろうとしている
「どうしたの、はやく食べなさい」
食卓をはさんで向かい合わせにいるとき、これがきまってママンの口ぐせだった。ぼくがママンの美しさに見とれて食事を忘れるからだ。ぼくがそういうと、いつもママンは微笑みながら、いけませんというように首を振った。ママンの首はねじってはずせるようになっていて、ママンはいつも目の前でやってみせてくれた。でもぼくにはそのしくみがどうしても理解できなかった。たぶんママンの頭は、この世界とは別の世界につながっているのだとぼくは思った。ママンの頭の中は空洞になっていて、そこでは無重力のような時間と空間が滞留しているのだ、とぼくは思った。だから胴体から自由に切り離すことができるのだと。ママンは首をはずすと、かならずぼくから見えないところにある台座に置いた。そうするとぼくはママンの美しさにみとれないで済むからだ。
ところが今日いつものようにママンが首をはずして置こうとしたとき、なぜかママンの首が大きく口を開いた。するとママンの首は傾いたまま動かなくなり、台座のうえの中空に傾いたまま静止したのだった。首をもったママンの胴体もその場に固まったままだった。ぼくはとっさに気づいた。ママンが欠伸をしたため、ママンの内部に滞留していた時間が逆流して、この世界の時間と入れ代わってしまったのだ。だからママンは動かなくなってしまったのだ。ぼくはいそいで台座にかけ寄って、ママンの首にさわった。止まっているママンの時間を動かせば、もとにもどるはずだと考えたのだ。だけど思いがけず変なことになった。突如、周囲が暗転したかと思うと、ママンの首がグラリとよろめいていた。台座も消えていた。ママンの首はそのまま虚空をおよぎ、闇のなかへちかちかとスパークしながら沈んでいった。そのとき頭上でグシャとにぶい音がし、天井の羽目板がスローモーションで引き裂けた。同時に黒っぽいものの影が視界いっぱいに広がった。白目をむいた血まみれの巨大なママンの顔が、食卓におおいかぶさり、うつろに笑っているのだった。笑いながら、ママンは猛烈にぼくを吸いこんでいた。ママンの時間にぼくを合流させようとしているのだな、とぼくはうつろに考えた。暗い洞穴のようなママンの口に吸いこまれる瞬間、ママンの口のなかにもう一人のママンが口を開いてこちらを見ているような気がした。これでママンとおまえは、ひとつになれるのよとそれは言っていた。
「どうしたの、はやく食べなさい」
ふいにママンの声が聞こえたので、ぼくはびっくりして顔をあげた。食卓をはさんでママンが座っていた。でも、ママンの顔は牛だった。正確にいうと、牛のように見えたのだ。ぼくはおそろしくなって立ちあがった。牛だ、とぼくは叫んだ。ママンは怒ったような顔をした。ママンは牛ではないのに、ぼくに牛だと言われたからだ。牛だ、ともう一度ぼくは叫んだ。ママンの顔が、とつぜん苦しそうに歪んだ。まるで窒息しているような顔だった。ママンはもうちっとも美しくなかった。そしてぼくは、ママンはもうとっくに死んでいるのだということを、はっきりと思いだした。
わが家の裏庭に乞食の一家が住み着いたのは、つい一週間ほど前のことでした。
どこからやってきたのか知りませんが、勝手にテントみたいなものを建てて住んでいるのです。
こっそり様子を覗うと、ボロをまとった男女がテントのなかに寝転がっているのが見えました。子供もいるようです。
通報するのはかわいそうだわ、と母は言います。そのうち出ていくだろう、と父ものんきに構えていますが、私は気が気でなりません。というのも、最近なんだかうちの家の物がだんだんなくなっている気がするのです。台所にあった調味料とか小物とかが微妙に消えているようなのですが、気のせいでしょうか。
悪いことに、彼らは宗教きちがいでした。
ひまさえあればわけのわからないお経を唱えているのですが、ひまだらけとみえて一日中ポクポクという木魚の音と読経の声が鳴り止みません。
「♪とざいと~ざい南無観世音クレクレ阿弥陀の大殺界
夢の浮き橋わたらせば 地獄の底からコニャニャチワ
ちょいなちょいなで日が暮れて なんじゃもんじゃで夜が明ける
コンコンチキチ、コンチキチ、カエルがなきますホーホケキョ」
地獄です。聞いているとこっちまで頭がおかしくなりそうでした。
たまりかねて私は、テントの入り口に垂れ下がっている新聞紙を払いのけて絶叫しました。
「静かにしてください!」
いつのまにか乞食は4匹に増えていました。テントの奥にはダンボールで作った祭壇が設置され、中央に汚い土人形のようなものが祀られていました。
乞食たちは私の訴えを無視して、一心不乱に経文を唱えています。
「そのお経をやめてください!」
私の金切り声に乞食一家はお経を中断し、一斉にぞろっと振り向きました。
「うぬら無明の闇へ堕つるぞ!」
「不浄の地を清めるのじゃ!」
彼らは口々にわめきたて、なおもしつこくチャカポコと楽器を鳴らします。どこで拾ってきたのでしょうか、塗りの禿げた木魚を子供が叩いていました。
「いいかげんにしてください!」
私は子供から撥と木魚をとりあげました。子供はうらめしそうに私をにらみ、代わりにお茶碗の縁をお箸で叩きはじめました。三日前になくなった私のお茶碗でした。
私はこのいまいましいお経をやめさせようとして、乞食の子供から奪った木魚を撥でめちゃくちゃに乱打してやりました。こんな集会、つぶしてやる!
ところが、思いがけずこれが読経のリズムにマッチしてしまい、不思議なグルーヴ感を生み出したのです。
「♪ほじゃらほじゃほじゃアホダラ経の、神のみわざに仏のわざくれ
ヨシの髄から天井の先まで透けて見ゆるわホレ見ておじゃるわい
ゆやーんゆよーんゆやゆよん あめゆじゅとてちてけんじゃ」
痺れるようなむずがゆいような、めくるめく感覚がお尻のあたりを駆けあがりました。
乞食たちは目を輝かせ、「よし」という感じで私にむかってうなずきました。
それに釣られて、なんとなく私も演奏を続けてしまいました。
そして、気がついたときには私自身、図らずもこの乞食とのセッションを楽しんでいたのです。
なんて気持ちがいいんだろう。私は、思わず撥をもつ手に力をこめました。
これが後に伝説となる宗教バンド「KOZIKI」の誕生でした。
それからまもなく、母が加入しました。あまり乗り気でなかった父も、銅鑼のパートをあげると喜んで入りました。
けっきょく、私たち一家は全員テントに移住することになりました。
今日もテントは満員御礼、朝な夕な寝食わすれて読経に勤しむ毎日です。
読経にあわせて木魚を叩きながら、ときどき私はこう思うのです。
ああ、きっと私は最初からこうなる運命だったのだ。私はこれをするために生まれてきたのだ、と。この澄み切った道を私はどこまでも歩いていこう。
感極まって見上げた黄昏の空を一羽のツバメがついと横切り、私の頭にうんこを投下していった。
言葉につまって沈黙することを「絶句する」と言いますが、私は日常的に絶句します。というかごく簡単な単語がでてこなかったりするので、たまに失語症かもしれないと思うこともあります。
このあいだうどん屋で素うどんを注文しようとして、「素うどん」という言葉が出てこなかったときはさすがに自分の頭を疑いました。おばあさんが注文をとりにきたのですが、店員さんの前で絶句するというのはなかなか恥ずかしいものです。適当な言葉を思いつかないとき「アレを、アレして」などと代名詞を連発する人がいますが、紳士で通っている私がそんな恥ずかしい姿を人前でさらすわけにはいきません。しかたないので、とっさに私は「いつものやつ」と言ってしまいました。
もちろん常連なんかではありませんでしたが、こういう時は通ぶるのが自分の威厳をただす唯一の方法のような気がしたのです。おそらく意味が通じればラッキー、通じなければ相手のせいにできるという姑息な算段を無意識に行なったのだと思います。でも自信のなさがもろに出てしまい、小声になってしまいました。よく聞こえなかったのでしょう、「はい?」とおばあさんが訊き返しました。こういうときは取り乱すと却ってあやしまれます。震える声を抑えて、わざとらしく落ち着き払って答えました。
「いつものやつをお願いします」
すると、おばあさんの顔がなぜかギョッとこわばりました。心なしか、あとずさりしたような気もしました。そして明らかにお盆をもつ手がガクガクと震えはじめました。
「は、はい。ただいま……」
そう言い残すとおばあさんは逃げるように厨房へ戻りました。奥でヒソヒソと話し声が聞こえたかと思うと、瞬時に厨房の空気が凍りついたのがわかりました。いったい私が何をしたというのでしょう。「いつものやつ」で話が通じたことにも驚きましたが、それ以上になにかやってはいけないことをしてしまったのでしょうか。
その理由はまもなく判明しました。テーブルに備え置かれた汚いお品書きの隅っこに、きつねうどんやたぬきうどんに並んで、『いつものやつ』という品名が載っていたのです。まるで人目をはばかるかのような走り書きで、ためらいがちに二重線で消したあとがありました。やはり私はなにかとんでもないものを注文してしまったようです。
五分も経たないうちに『いつものやつ』が運ばれてきました。さっきのおばあさんは運んできたお皿を投げ出すように机に置いて、あわてて逃げていきました。
それは形容のしようがないものでした。うどんの「う」の字もみあたらず、どちらかと言うとうんこの「う」とでも言いたくなるような代物で、なんでしょう、無理やりたとえるならカレーライスのゲロに何本もの犬の足が刺さったようなおそろしく薄気味の悪いものでした。
気がつくと店中の視線が私にそそがれていました。客はまばらでしたが、みんなうどんをすすりこむ手をとめて、一様に恐怖の色を浮かべています。私がにらみつけるとそしらぬ顔で食事を続けるふりをしましたが、さりげなくちらちらとこちらを盗み見ています。私がどういう行動に出るのか、固唾をのんでみまもっているのです。私だけにいやな役目を押し付けて傍観するなんてひどい。
私は泣きたいような気持ちになりました。しかしここまで来て引き下がるわけにはいきません。山盛りに盛られた『いつものやつ』に割り箸をつっこみ、半分やけくそで、そのおぞましい物体を口にかきこみました。
で、これがなんとうまかったのです。いやほんと、びっくりしました。正直、犬の足(?)があんなにうまいとは思わなかった。ゲロのようなものも残さずきれいに浚えとってしまいました。ひどく気に入ったので、柱の陰に隠れていたおばあさんにもう一杯注文しようとしたら、おばあさんは泣き笑いのような表情を浮かべて、お代はけっこうですと逃げていきました。
私が食べたものは結局なんだったのか、いまだによくわかりません。そして、なぜ『いつものやつ』と呼ばれていたのかも。しばらくしてあのうどん屋に行ってみたら、つぶれていました。しかしそんなささいなことはもうどうでもいいのです。『いつものやつ』がうまかったのは事実であり、それに比べればすべて取るに足りないことです。いちど私は自力であの料理を再現しようとしましたが、みごとに失敗しました。おそらく一生かかってもあの味を再現するのは不可能のような気がします。まあいずれにせよ、やはり見た目でものごとを判断するのはよくないなあと思い知らされたのでした。
あと、ひまだからといってむりやり嘘を書くのもよくないなあと思いました。
始めに断っておくが、この間に私が知りえた恐ろしい事実について、このような形で発表することを私は幾度となくためらった。しかし、ついに公表することを決心した。あの秘密を私だけの胸にしまっておくのはとても耐えられそうにないからである。さもなくば遠からず私は発狂してしまうであろう。
ホラー映画ファンが礼賛してやまないという、かの○VD社の本拠地を私はついに突き止めたのだ。そして、ここに○VD潜入極秘ルポをお届けすることにした。以下はその戦慄の記録である。
* * * *
ホームページに記載された住所を訪ねあてると、そこは長屋のような建物が密集している地帯だった。
目的の建物を探して歩く。
意外にあっさり見つかった。長屋の入り口のひとつに「○VD」という手書きの貼り紙がしてあったのだ。
なるほど、5Fというのはタテではなくヨコから見ての話なのだな、と私は納得した。
「ああ・・・」と、五十がらみの男が笑顔で出迎えた。「取材の件ですね」
年齢の割に髪が異様に黒くフサフサしているのが印象的だった。
「写真は勘弁してください」と男は顔を手で隠しながら照れた。
<社長室>と貼り紙された部屋にまず通された。聞けば彼が社長なのだそうである。
コタツのうえにおびただしい数の原稿用紙が散らかっていて、凄まじい推敲の跡がうかがえた。
ちらりと目を走らせると、どうやらDVDジャケットに載せる解説文のようだった。
「ヒッチコックの『サイコ』を思わせるサスペンスタッチのサイコスリラーです。静かな田舎の村で次々に連続殺人事件が起こります。殺人者は身も凍る残虐な方法で犯行を重ね、被害者は断末魔の悲鳴をあげて次々に死んでいきます。果たして犯人は誰なのか?」
何の映画の解説かはわからなかったが、例の名文調が再現されていることに私は感動をおぼえた。
「この映画を<罪>と呼ぶなら、おまえは<共犯者>だ!」
というアノ超絶コピーを生みだしたのも彼に違いない。私は心の底から感服したのであった。
次に案内された部屋では、小学生ぐらいの子供が勉強机に向かってなにか作業をしていた。社長の息子らしい。
「取締役兼専務です」
小学生はMacintoshのパソコンを駆使して、新商品のジャケットをデザインしていた。もう1台のパソコンでは、「地獄の扉」メニューの新しいデザインが完成されつつあった。
「IT方面はぜんぶやってくれるんで、とても助かってますよ」と社長は相好を崩した。
おそらく会社のホームページも彼の設計によるものだろう。私は心のなかでひそかに舌を巻いた。
隣の部屋で、若い女性がテープレコーダーに向かって真剣な顔で何かを吹き込んでいた。
「このビデオ・プログラムを無断で複写・放送・有線放送・営利的上映などに使用する事は法律で禁じられておりまん・・・くそっ、ミスった」
「妻です」社長は嬉しそうに言った。「納得いくまでやるタイプでして。いつもこうなんですよ」
まさか、あれを毎回録り直しているというのか。○VD社の並々ならぬ熱意に私はまたも猛烈に胸を打たれた。
そのあと、奥さんとの馴れ初めを2時間ほど聞かされた。
ようやく○VDの実態が私にもつかめてきた。要するに○VDは家族企業であり、実にこの社長一家三人が経営していたのだ。
「そろそろおいとまを」そう私が告げると社長は名残惜しそうに、「じゃあ最後に」と別室に私を通した。
<倉庫>と貼り紙されたその畳敷きの部屋には、DVDの在庫が山のように積まれていた。「ディー○レッドキャンペーン」の文字が見てとれた。
お土産にと社長は「○ートマーケット/ゾンビ撃滅作戦」「○ートマーケット/人類滅亡の日」のセットを私の手に握らせた。
「いえ、買って持ってますので」と私は丁重にお断りした。
こうして半日に渡る長いニセ取材から私はようやく解放されたのだった。社長は満足そうに玄関で見送ってくれた。
私はひどく混乱した気分で○VD社を後にした。何か取り返しのつかないものを失ったような気もしたが、それが何なのかはわからなった。
それから私は家に帰ってウンコをして寝た。了
※これはフィクションなので実在の団体・人物とは一切関係ありません。